Welta Perle

ウェルタ ペルレ
セミ判

 ウエルタ(ヴェルタ)と言うブランドは戦前に日本に輸入された数少ない舶来カメラとして、知られていました。
 私の家にも、戦死した親父の形見として残されていました。レンズだけはこの個体と違いクセナー2.8が付いていたような気がします。その機体は今行方不明です。
 同じものを探し続けてようやくレンズ違いでもきれいなものを見つけました。
 1号機
  製造 ドイツ  Welta Kamera-Werke  ウエルタ社 1934〜39
  フォーマット  120フィルム 6*4.5 セミ判
  レンズ Stenheil Cassar 7.5cm F2.9  カッサー(ル) 前玉回転式
  シャッター コンパーラッピッド T B 1〜400 セルフタイマー
  赤窓式 パララックス補正付き逆ガリレオ式ファインダー


 2号機
  製造 ドイツ  Welta Kamera-Werke  ウエルタ社 1937年(テッサーの番号から推測)
  フォーマット  120フィルム 6*4.5 セミ判
  レンズ Carl Zeiss Jena Tessar 7.5cm F2.8  テッサー 前玉回転式
  シャッター コンパーラッピッド T B 1〜400 セルフタイマー
  赤窓式 パララックス補正付き逆ガリレオ式ファインダー


 ようやく、高級バージョンのテッサー付を確保しました。
 こちらとの違いは、レンズが違うだけでほかは全く同じものです。
 ファインダーがカッサーのがメッキでテッサーのはボディにあわせた塗装です。

 以上のようなスペックです。
 製造年からすると、ものすごいものです。当時の日本ではレンズがせいぜい4.5シャッターも100から200が限界でした。この頃のカメラを含め工業技術の日独の差はかなりのものでした。もっとも、レンズの明るさと写りは比例するものではなく、この頃にこのように明るいレンズが作られ始め、競って採用したものです。もちろんノーコーティングです。

 パララックスの補正装置と言ってもファインダーの横に見える小さなポッチを操作すると、ファインダーの後ろ部分が持ち上がってくるものです。無限遠を主体とする視野と至近距離を示すものを切り替えるものです。ファインダー自体が後年のフレーム付きの様に正確でもありませんし、ファインダー位置が真上に無いので今式に言えば不正確なものですが、パララックスをきちんと認識してカメラを作るメーカーがほとんど無かっただけに、面白いものです。そして、頭切れを防ぐ効果は充分にあります。

 この時代のコンパーのシャッター音は非常に乾いた感じのものです。シャッターリングを廻すだけで中速・高速とばねが強くなるのが分かります。この個体のシャッターは低速まで働いているようですがセルフタイマーは動きません。セルフタイマーもシャッターをチャージした後コックレバーの止まったところにあるポッチをずらしてもう一段レバーを追い込む方式です。プロンターのように別のところにあるのではありません。表示もありませんから気が付かない人もあるかもしれません。この型のコンパーはシンクロ接点のないものです。親父の形見は改造してX接点をつけてありました。
 カッサーのフィルターサイズは32mmではなく少し小さいのですが、以前のアジフィックスのものがドンぴしゃりなので助かります。コーティングがない分フィルターとフードはあれば使ったほうがよさそうです。。 
 カメラは見かけによらず重く580gです。6*6のイコンタ523/16は510gです。サイズは一回り小さいのですが・・・  2005/4/6 2009/3/22

赤窓
 戦前のセミ判カメラにはこのように赤窓が二つ並んだものがあります。
 これは、120フィルムの裏紙にまだセミ判の番号が印刷されていなかったからです。
 フィルムを倍に使おうと考え出されたサイズですからフィルムメーカーの対応が遅れたわけです。
 セミ判のカメラが増えてから、番号が印刷され窓の位置も変わりました。
 使い方は、69用の番号を2回ずつ使います。
 まず、このカメラだと。フィルムが左から右に送られますから、左の窓に『1』が出た時に1枚目の撮影をします。
 次はその『1』が右の窓に来た時に2枚目を撮ります。
 三枚目は左の窓に『2』が出たときです。
 これを繰り返して『8』までの番号で16枚撮るのです。
 二つ窓と言うことは、カメラの製造が古い証にもなります。
 フィルム室
 非常に丁寧に作られたフィルム室です。
 写真では分かりにくいですが、左の生フィルム側も右の撮影済みフィルム側もきちんとゆるみ止め、巻き太り防止と、ヒンジ部分からの光漏れを防ぐバネやカバーが付けられて居ます。
 いかにも、実用優先のウェルタらしいものです。

 奥のほうに見えるように、この時代のコンパーシャッターの絞りは枚数が多く真円に近いです。従って、この時代のレンズは少し絞ってレンズの基本性能を引き出した時のボケが非常にきれいなのです。

 巻き上げノブは非常に巻きよいのですが、これもデザイン的には野暮ったいのはウェルタならでしょう。空きスプールを入れるときはこれを引っ張り出します。
 パララックス矯正装置
 この時代のカメラのファインダーでパララックスの矯正装置を装備しているなんて驚異的なことです。
 ファインダーの根元にある小さなポッチを『8』の方にすれば無限遠・・・普通の撮影用の傾きになります。
 これを『N』にすると近距離用にファインダーの後ろ部分がバネでほんの少し持ち上がります。5フィートくらいからはこちらに切り替えた方が頭切れが防げます。
 実に簡単の装置ですが有効なものです。
 パララックス自動矯正とか、一眼レフになる前の人物写真では頭切れが常識化するほどの難問でしたが、1930年代にウェルタは対策しようとした訳です。
 ところで 「8」が無限遠ですから「N」は「Z」なのでしょうね。

 この装置は1号機も2号機も同じです。
 簡単な装置ですから、普及バージョンも最高級バージョンも手抜きなしです。

 これだけのウェルタも大戦後に東ドイツに組み込まれ、しばらくは創意工夫でがんばりましたが・・・ 



 ウエルタの悲劇・・・第二次世界大戦の前はユニークでしっかりしたカメラを作っていたウエルタが戦後急速に衰えたのは、戦後ドイツの東西分割にあったようです。戦後すぐにカメラ生産は復活しましたが、国連米軍軍側の占領した地域ではそのようにソ連占領地区ではソ連占領地区と明記して製造しました。
 戦後の復興期に入り東側と西側の発展に差がはっきりと出て来ましたが、カメラ産業も同じように東側は進歩せず衰退して行きました。このウエルタは東に編入されたために衰退の一途をたどったのです。併合とか色々な苦難の末に消滅したようです。
 ツァイスは大きかったので股裂きにあって東西に分けられ両方で生産ましたが、底力もあり西側のツァイス・イコンが最後まで生き延びました。